父、逝く。

今回日本に来たのは父に癌が見つかったいう知らせが来たからでした。

余命はわからなかったけど、私だけすぐに行くのか、親孝行のため孫もつれていけるか?と考えて予定を組みました。
コロナでちゃんと入国できるかどうか不安だったのであまり人には告げず、ひっそり日本にやってきました。

父は孫ブーストの所為か意外に元気そうで自転車でお店に孫のためにアイスクリームを買いに行くほどでした。

最初の一週間。自宅隔離中に一緒に過ごすことができましたが、激痛に見舞われて再入院しました。

かなり悪い状態です、とお医者様はおしゃいましたが、コロナで面会は基本的には禁止。

その後は容体が悪いのに、ずっと持ちこたえて、私と未奈が東京で観光をしているときは全然連絡がありませんでした。

無事、未奈を送り出した翌々日、病院からどうか面会に来ていただけないでしょうか? 面会できるように手配してくれました。

会った父は、息が浅く苦しそうだけど、まだ声には反応していました。

会わせたい人が居るなら早めに連れてきてくださいと、言われたその晩。

早朝2時半に電話でどれくらいで病院まで来れますか? すぐ来れないでしょうか?

と、病院から連絡があり・・・私達は隣の県に住んでいたので(父は諸事情で元仕事場の近くの病院が大好きでそちらに入院していました。)始発を待って病院に向かうことにしました。朝7時前に病院について、見た父の顔は前日とは全然違いバイタルも前日より全然下がっていました。

姉にも連絡して丁度通常より近いところに来ていたので、そこから直接病院を目指すといって向かってくれていました。

息が浅いけれど、落ち着いていたので姉も間に合うかなと思っていたら

9時55分ごろ、バイタルが一気に下がって私は父の傍で、

大丈夫やで、みんな大丈夫やから、安心して!

と声を掛けました。

父は泣いていました。

もしかしたら走馬灯を見ていたのかもしれません。とても印象的でした。多分この光景は一生忘れないと思います。

そうするとバイタルサインの心電図がまっすぐになり・・・。しばらく戻ったり、とまったり・・・。

10時13分くらいまで行ったり来たりでした。

しばらくして先生が来て死亡確認をしてくれました。

葬儀屋さんに連絡したら12時半過ぎに迎えにきてくれて、その車に一緒に乗り込みました。

梅雨だというのに、私は晴れ女か?と言わんばかり・・・天気はよかったです。

ちょうど自宅近くに近づいた時の空を見たら雲が印象的でした。


見事な雲をみていると。

ああ、父は逝ってしまったんだな・・・。と感じました。

丁度、地元に戻ってきたら、丁度生前父が毎日登っていた高御位が見えてきました。

また登ってみようかな・・・と思いましたが(体力もっとついたらね・・・。)

それにしても、父は本当に逝くときもみんなの都合を考えてくれたかの如くで、いろんな意味で完璧にみんなのいい都合で逝ってくれました。一週間早かったら、孫の未奈が楽しみにしていた観光がすべてキャンセルになるところでした。お父さん頑張ったのね!と本当に思います。

ま、姉が間に合わなかったのは残念ですが・・・。姉は愛犬のゴロ君を独りで看取ったので、今回はつらい思いを2度させないようにという父のはからいでしょうか? きっと今頃ゴロ君と一緒に私達を見守ってくれてるでしょう。

それにしても、コロナという大変な時期だけど、コロナというこんな時期だからこそ、長期滞在ができて、何かとラッキーでした。
私は娘と一緒に帰る予定でしたが、いったんアメリカに帰ると再度隔離をしなければならいので、お葬式にでれないという事から会社に頼んで滞在延長してリモートで仕事をさせてもらうという事が可能だったので、いろんな意味でいつもと違うからこそ可能になったという事が沢山重なったので、とてもありがたく思います。

神様どうもありがとう・・・。

 

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